4/2土曜日に東名川崎ICから東北道九戸ICを走行し、岩手県九戸郡洋野町に行きました。
4/3日曜日は、10:00に洋野町の実家から、青森との県境に近い、国道45号線の洋野町八木港を10:30に出発、国道45号を南下してきました。
当初は気仙沼まで行くつもりでしたが、陸前高田から気仙町に行くのが難しく、国道373号で一関に向かい、一関ICから東北道経由で帰宅しました。
陸前高田で国道45号から離れたのは15:30。
洋野町から時間にして5時間、走行距離は230kmです。
被災地の現地に行ってみると、出てくる言葉は、「うわぁ~」しかありません。
あとは言葉にならない・・・。
いろいろとお話したいことがあり、長文になるので、複数回に分けて投稿します。
まず、今回洋野町に行った目的は、父の状況を確認したかったのと、電話ではなく直接話をしたいことがあったからです。
会って安否を確認し、「被災状況はどうだったの?」と尋ねると、「この辺は大丈夫だ。あとは実際に自分の目で確かめればいい。」
父と二人で、久慈市の石油備蓄基地と野田村に行きました。
言葉になりません。
野田村の海沿いでは、建物がほとんどなく、何も知らない人が見れば、造成用に更地にしている途中なのかと思ってしまうかもしれません。
父が言うには「だいぶ片付いた」そうです。
残っている建物がいくつかあるのですが、その中に赤く丸印が大きく書かれているものがあります。
私は、家族等に「無事ですよ。」と安否を知らせるために書かれたものかと思いましたが、そうではなく、「解体OK」という目印だそうです。
野田村の現状を実際に目にして驚きましたが、「南に行くほどもっとひどい。」という父の言葉をきき、予定を変更して、帰路は国道45号線で帰宅することにしました。